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欲しいのは「なかみ」であって「うつわ」ではない。

更新日:2020年1月27日


製本って、不思議。どうとらえていいのか。わかりにくい。わかりにくいから、みんな考えるのをやめてしまうし、意識から遠のかれてしまう。芸術なの?作品?「なかみ」はもとより作品だけど、それは「うつわ」を含んでいるものなの?


わたしたちが本屋に行って、欲しいのは「なかみ」であって「うつわ」ではない。お菓子の袋と同じこと。ただ「おいしい」が伝わればいい。それに本の場合、「おいしい」が前に出すぎると「なかみ」の滋味を消すこともあり、「うつわ」と「なかみ」のバランスはとっても難しいところかなと思います。


これからはきっと、いや、勝手に、本屋は「なかみ」と「うつわ」が一体で、それが必然だと思えるようにするのが課題なのだろうな、流通や価格設定のために、例えば、文庫本のように糊でページを綴じた並製で、カバー表紙に工夫を凝らすといったような「おいし」さを出す「うつわ」にも限界があるのだろうなぁと、うっすら考えていてはや数年。製本や印刷はわからないことばかりで白目をむくばかりでしたが、少しずつ手や目が覚えていると感じる作業が増えてきました。


販売も細々と続けてはおり、その中で、なんて流通しやすいように本はできているのだろうと思ったりすることが増えてきました。それは何を指すかといえば、流通に合わせた「なかみ」になってきているということなのだということも。


それは背幅からわかります。


郵送などで便利な1㎝前後の背幅の商品が多いことに気づいたのは通販を始めてからで、読んでも2時間ほどの内容量で、ポストや郵便受けに納まるのにはベストだから、ということなのかもしれません。近年多くの人は買う本を、読んだ後の転売も含めて考えて購入する傾向も強くなってきているように思います。圧倒的な評価のものであるなら、規格外でも人は欲すると思いますがそう多くはありません。買いやすいと感じる客がいて、結果売れる。それを評価として、出版社は流通する本を決めることもあるのではないでしょうか。


前置きが長くなりましたが、それだったら、掛けたらハードカバー(上製本)のような「文庫カバー」を作ってみたらいいのではないか?ということに思い至りました。


製本を職業にされている方々にとっては邪道であるし、わたし自身も製本作業をしていて、「なかみ」を包む際の1㎜のサイズ間違いもあってはならないくらい精密なものだと痛感しています。


「名画座手帳」のカバーを作ってみて、包むかたちにし、平ゴムで調整すると意外に安定感があって3年遜色なく使い続けられているのを見て、やってみる気になりました。

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