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展示すること、陳列すること

陳列と同じくらい、展示って難しい。


作品の展示をするようになって、いつも悩むのは、展示の仕方です。


手で直接触れてもらいたいので、触れやすく、さらに戻しやすいものにしたいと思っていますが、それを逆算しながら作品を考えると、なんとなくものたりなさを感じてしまいます。


イメージでいうと、ましかくで、つるんとしていたりする。そんな感じといいますか。なんだか、記憶もつるんとしてしまいそう。


本屋での商品陳列も同じことだったりします。


買ってもらうにはまず目に留まること。売り物である本の装丁であっても、眼をひくもの、ひかないもの、店の客層ではキャッチではないもの、逆に強すぎて他のものがかすんでしまいそうなもの、それらを整えながら並べます。


どの本も目に留めやすい配置が出来たら、もとに戻しやすそうかどうかも含めて、手に取りやすくようにするわけですが、実は、この目に留まること、そして手に取りやすくするということを考えるのは、相反する行為にもなるのです。


そこに本屋は神経を注ぎます。


正直、本屋はお客様に手に取ってもらえれば、それで全仕事が終わると言っても過言ではありません。ただ「出会い」の場所を作るだけなのです。


大型書店で平台の商品を替えたり、多面展開の作業していた時と、同じようなことで悩んでいると、展示から逆算して装丁を考えるとき、強く感じています。


本の「うつわ」は、読んだ感想とのズレをうんではいけないと思うので、紙質や素材で表す程度にして、あっさりとしたなかにもしっとりとした仕上げを意識しています。ただそれでは「目に留まる」ほどのパンチはなく、この『和紙』という作品は「なかみ」のあらすじを作り、入れています。



あらすじをカードに印刷し、函と本の間に差し込みます。裏面にはタイトルを入れて、函から見えるよう穴をあければ、インパクトもあるのではないかと。


でも、作ったあとで、はっとしました。


あれ?これ、展示の際に函から出す作業、そして、戻す作業ができちゃってる!

めんどくさい?めんどくさくない?見るだけ?と思われる?遠慮する?


もし、展示を見て、逡巡されているようであれば、わたしの作った本に限っては、どんどん触って、「なかみ」を見てほしいと思います。


「なかみ」に出会うために「うつわ」も、展示も、あるのです。


わたしが作る本は、本屋と同じく手に取ってもらうことを目指しています。毎回、装丁を考えるときには悩ましく、ギリギリと歯ぎしりしながら考えています。


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