top of page

「金が出ずになしの産まれた話」


「金が出ずになしの産まれた話」は、小川未明の作品で、お金持ちが自分の山で金が出ないかと三人の坑夫を雇い、金を掘りだそうとしてみるところから始まります。一時はそのため町も賑わいをみせたのですが、なかなか成果が上がらずお金持ちは飽きて、援助をやめてしまいました。それでも諦めきれない坑夫たちはずっと山を掘り進めますが、ばたばたと疫病に倒れ亡くなります。その後、その場所に梨の木が生え、村人が育てたところとても甘くておいしかったため、評判を呼び特産物になったおかげで村が栄えたという昔話のようなおはなしです。


製本コンクール。今年のお題は「金」でした。頭の中は、オリンピックやらお金やら何かとキンキンとギラギラしていて、どうしたものかと思案しておりました。この話を知った時、これなら、本ができそうだとほっとしました。


発見した際の喜びはつかのまで、本のなかみへと意識が移ります。

なんとなくしっくりこない気持のおきどころ。これはなんだろう。


坑夫たち、それでよかったの?と身も蓋もないことをうっかり口にしてしまいそうになる。


なにが一番大事なことか。価値観はいろいろな人の視点からのものだから、それぞれで平行線になってしまう。たまたま今この時代ではそうした価値(考え方)だから、ということなのだということはあまり語られることはないような気がします。


今の時代、例えば自分は何も施すことができないからと、炎へ身を投げ自分を食べてくれなんていう「捨身月兎」なんて、もうこの先、日本では目にすることも口にすることもほぼなくなるのかもしれない。


金持ちの気まぐれで与えられた仕事をいつしか自分たちの目標としてしまい、結局身動きがとれず死んでしまう三人は、意味のない愚かなものだったのでしょうか。ウサギのおこないはマジありえないですか。


今には合わない価値だからと「ない」ことにしてしまうのは、正否の問いだけではなく、先に訪れるかもしれない変化に対応できず、賢い選択ではなように思えます。


本は、過去現在未来の人々を繋いでいくので「永遠の命」を持っているような気がしています。それと同じく、梨の実になった坑夫たちも、月に住まうことになったウサギも、物語の中で「繋ぐもの」となっていて、繋いで続いていくことができる「永遠の命」を意図しているような感じがしてしまうのです。


あたっているのかな、小川先生



第14回製本コンクールは終了しておりますが、現在アンケートも募集しているとのこと。

▼  8月31日まで(抽選でプレゼントもあります)

こちらが会場展示の様子を撮影した動画です。

▼ *わたしもインタビューを受けました。

bottom of page