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作品『和紙』ができるまで 2

更新日:2019年8月11日

『和紙』は、昭和22年刊行の書籍を入手するのは難しく、単独でその小説だけというものは、ネットでも目にすることができません。ただ作品集の中のひとつとしてなら読むことが可能です。現在なら『芥川賞全集 第3巻』や『福島の文学11人の作家』で読むことができます。


わたしも『芥川賞全集第3巻』で、初めて読んだとき、喜びと驚きでいっぱいでした。


戦時中、暮しにも、出版物にも多くの制限があったと過分に思い込みがあったのかもしれません。この作品の中の人々が、戦時下日常のこととして淡々と日々を送っていたこと、そしてこの作品が出版できる状況であったということにも、目が覚める思いでした。


『芥川賞全集第3巻』で全体把握をしたあと、国会図書館で当時刊行された書籍を元に、掲載された「文藝春秋」と三方を照らし合わせつつ、テキストを作りました。


常に意識しているのは、この本を手にする人は誰かということ。「自分」ではなく、自分の中にある「他者」を考えるのは、書店勤務で教わったことです。


章前で現代の暮らしでは珍しい言葉があった場合の説明を入れていきました。それと、和紙を作る工程は作品の中でも細かく描写はありますが、作業の流れを頭に入れて読んだ方がいいと思ったので、それもつけてみました。画像があった方が理解もしやすいと思い、福島県二本松の教育委員会で作成されたページがあったので、問い合わせ、使用許可をいただくことができました。文字組をし家庭用印刷機でプリントをしましたが、この段階で2か月経過。提出までにはあと1か月もないくらいでした。


どういう本にするか出来上がりはうっすら浮かんではいたのですが、今回は、素材の選択でかなり左右されました。テキストの紙は、当時刊行されていた感じに寄せて更紙にしてみました。どこかしらには、主人公が漉いていた上川崎和紙を使えればと考えていたけれど、入手するのは簡単なことではなく、時間もない。探した末に、二本松近くにある福祉施設で作っている染折り紙を表紙にすることにしました。普通なら小さすぎて使えないのですが、なんとかコデックス装なら問題なさそうです。見返しのみで表紙がつながっている状態なので本が傷む恐れもありますが、更紙が軽いので功を奏しました。


いままで自分が売り場に置いていた本がどのような過程でできたのか、知っているようで、知らなさ過ぎたと気づいたのは、本の「なかみ」と「うつわ」が、わたしたちの暮しから離れつつあると感じてからです。


たくさんの本をいろいろな素材で試して作ったり、製本している他の人と同じ目線で話し合うことで気づくこと。


今まで見過ごしていた技術のどこがすごいのか、その技術のレベル、段階を知ること。


知ることで伝えることができるから。


自分の中にいる「他者」に、伝えたくとも、今までは伝えられなかったことも、今、やっと少しずつできそうな気がしています。


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