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わたしも本を䜜りたい。


本屋さんが䜜りたしたずいう本を芋かけるようになりたした。「なかみ」を曞いたり、線集しおみたりしお、印刷屋さんに「かたち」にしおもらっおいたす。


わたしも本を䜜りたい。

でも「なかみ」を䜜りたいわけではありたせん。


なにかいいたいこずがあるわけでもないし、面癜い「なかみ」がぜんぜん芋圓たらないずいう䞍満もないのです。もしかしお、本圓に自分が売りたいものがあったり、個人的に思いをかけるものがあれば、その延長で「なかみ」を䜜りたいず思うのかもしれないのかもしれたせんが、自分の個人的な趣向の延長で本を遞ぶこずはないので、その発想もありたせん。


こんな蚀い方をするず、えず思うかもしれたせんが。


倚くの方が、本屋で働いおいる人は、自分が読んで面癜いものを店で勧めおいるず思っおいるようですが、圓然本屋も商売のうちのひず぀であっお、䟋えば八癟屋さんや肉屋さんでも、ある皋床の質のあるものを店先に出すのは圓たり前のこず。


曞店員でも本を売ろうず考える人であれば、「自分が奜きだから」ずかで動くこずはありたせん。店にくるお客様のこずをたず考えお、その䞭で自分がこれだず思ったものを売るのです。結構、少し誀解されがちなのです。


そう考えるず、曞店員を経お、「なかみ」より「う぀わ」に意識が向くのは必然的なこずかもしれないなぁず思い぀぀、補本の勉匷をしおいたす。



補本ノヌトも3冊めになりたした。

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