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やっぱり「なかみ」が一番大変-試作篇-


製本の工程を学んでいくたび、本というものはこの世に生まれた時から完成品だったのだと強く思います。機械製本、手製本も、道具も素材もほとんど変わらず、百年以上繰り返し同じような方法で作られているのって、ほかにあるかしら。味噌とか醤油とか、日本酒とか?です、かね。


昨年からコンクールなど、出品や展示する機会を得ることができました。


その時間の三分の二は「なかみ」。テキストを作る作業に費やされます。その残りの半分以上は試作です。今更「なかみ」って言われても、でしょうが、「なかみ」という命を吹き込むことで、出来上がった1冊の本がひとつの個として動き出すのだな、と、これも強く感じています。


試作は多い時には3度くらい作っています。浮かんだことを取り入れるのに作り直したり、素材を変えてみたり、繰り返し作り続けます。ある日、印刷の具合を見ていたら、あっという間に一日が終わっていたときには、このまま干からびて部屋で発見されるかもとぞっとしました。


色や素材の組み合わせ、製法によって印象が変わるので、時間も忘れてしまうということもありますが、まだ技術も未熟なところもあり、計測間違いで貼り合わせたら全然揃っていない!と気絶しそうになり、白目をむき、自分をひたすら呪うという「試作」な時間もあります。今、この文章を入れている際にも、初めて試す仮フランス装は4回失敗しています。


先に、味噌や醤油と言いましたが、やはり決定的に違うのは、本に限ってみると、手にした瞬間でもそれが完成としていいのか悪いのか、わかりにくいということがあると思います。例えば、読んでいた本が突然バリっと割れたのは、接着処理がまずかったせいか、素材の耐久性が問題だったのか、取り扱いの問題なのか。数年後に答えが出るようなことでもあったり、悩みは尽きません。




素材に和紙を使おうと調べていたら、

偶然


福島のおいしい羊羹を見つけました。

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