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「これしかない」という才能

更新日:2019年9月29日



わたしは今こうして文章を書いていますが、うまいとほめられたことはありません。絵もそこそこわかる程度のものは描けますが、たいして上手くもありません。はっとするほどのアイディアもなく、美的感覚も希薄。本を読むのは好きだけど、誰よりも読んでいるかと言われるとそうでもない。


すべて、オールそこそこです。


誰かに選ばれるような優れた才能は何一つ身につけられずここまできてしまいました。


自分がなにかして、誰かを喜びではっとさせるようなことあっただろうかと書きながら、なんにもないかもしれないとはっとしました。ほんとがっくり。


これしかない。


「これしかない」って言えるってだけでも相当すごいことなのだと、気がついてしまったのです。先日トークゲストにいらした、さいあくななちゃん(「ちゃん」までが作家名です)のお話を会場で聞いてから。


鬼子母神通りのみちくさ市では、古本市だけではなくトークイベントも催しています。ホスト役のイベントで主軸になる方が、テーマに沿ってゲストをお招きし話をするという形式にしています。現在のトークイベント「談話室たまりあ」は『ステージ上の「私事」と「仕事」』というテーマで、2018年から9月で行われたイベントで9回を迎えました。


会場受付をしているという役得を、どうお返しすればいいのだろうと毎回悩ましい。「門前の小僧、習わぬ経を読む」ということわざのように、これだけ聞いているのだから、経のひとつでも読めたらいいのですが、毎回あっという間の2時間で、笑ったり唸ったりして9回、でございます。


そう。話は戻ります。


さいあくななちゃんは、「これしかない」と信じています。


誰かに選ばれたとか才能があるかないかということではなく、自分を表すことのできるものが、インスタレーションであることに気づき、「これしかない」と信じ続けています。正面から向き合っています。

「これしかない」と話しているさいあくななちゃんの言葉は、まるでいきもののようでした。言葉からいのちが見えました。それはわたしだけじゃなく、みな、いきものだと感じていたのだと、イベント後の会場の雰囲気でわかりました。

「これしかない」と思えるものに出会たってこと自体がすごいことで、それに正面から向き合い続けられることが、もう、才能なのじゃないかと思うのです。大人になっても見つけられない人のほうが多く、たとえ見つけられたとしても、正面から向き合い続けることは難しいのではないでしょうか。


見つけられただけで、奇跡。


ただ、ほんとは逃げたっていいのかもとも思います。


絶対に、正面から向き合わなくてはいけないわけではなく、逃げたっていい。下手すると死んじゃうかもしれないし、「そこまでしなくても」という歯止めが利くのが賢い選択です。それが大人です。大人になることは悪いことじゃない。


誰かに代わりに育ててもらい、作ってもらい、それを買って食べる。例えればよくあること、置き換えれば腑に落ちる。もちろん絶対「代わりに」の部分は忘れてはいけないし、敬意を払わなくてはいけないですけど。


わたしは今でも心震える本に出会えます。出会えているから、自分で書こうとはまでは思わない。それがきっとわたしの「そこまでしなくても」なのだと思います。


じゃあ、「代わりに」じゃダメなもの。ってなんだろう。


だとしたら、心震える出会いをうむ場所。それは本屋。「これしかない」がそこにある。今までは「提供」することを強く意識していましたが、これからは「共有」を意識する場所を考えてみようとしていたり。


しんどいけれど、しあわせです。



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