これから100年の

展示ケースの前、開脚ではりつき凝視するほど気がかりだった話の続きです。

厚紙で包んだ装丁の上製本、ハードカバーとも呼ばれますが、それは糸で綴られていることが前提です。明治時代の後半くらいの本を見ていると、背の部分に綴られている痕跡が見えないのです。糊が今ほど強力ではないのに離れていないので、絶対に糸で綴られているはずなのに。けっこうな確率で見るので気になっていました。どうしてなのか。

展示で謎がとけました。

それは、明治時代ベストセラーと呼ばれる本の登場によって生まれた技術でした。

本のつくりを知っている方には当然というような説明で恐縮ですが、通常、本は4枚重ねて二つに折った状態の紙の複数の束を糸で縫うようにくっつけていきます。1つの束で16ページ。最低でも48ページ以上ものもを希望するならば、強度の面から上製本が望ましいつくりになります。

今どきでも上製本ができるのに奇跡的に仕上がったとしても、三日はかかります。時間もお金もかかる、敬遠しがちなつくりです。そんな二の足を踏むような方法だとしても、買い求める人たちにとっては関係はなく、手ごろな価格でちょっといいものを手にしたいもの、買うぞと決めたなら、ぺろんとした文庫本よりは、金箔文字の重厚感ある見栄えのいい本のほうがいい決まっています。それはいつの時代でも同じことで、明治の頃であっても手ごろで重厚感は外せないぞとなるわけです。

そんな買う側と売る側の気持ちをうまくつなげたのが「三点平綴じ」という方法でした。

本の背に近い部分に上から三つ穴をあけ、そこに糸を通し紙束をがっつり綴じます。それを見返しと呼ばれる紙で隠して糊づけしてしまえば、ちょっと見では立派な上製本に見える。

わりと乱暴なつくりで正直驚きましたが、手にした本の、色が変わったり汚れたり傷ついたのを、自分の一部になったようと喜んでいたりするわけで、すごく頑丈でなくてもよいと思っている節もあるのです。

答えを見ればなんてことないことでした。

作り手にとってみればそれでいいの?といぶかる技術でも、当時は求められている技術であるように、「商品」にするやり方に正解はないのかもしれません。

きっと本も何で読むかを選ぶ時代になっていく、はず。

例えば音楽を味わうように楽しむのに、普段なら配信で聴くのにレコードで聴いてみたりすることがあるように、本を読む行為そのものを楽しむために紙の本が選ばれることもある時代になっていくかもしれません。

これからの100年でも、正解のない「三点平綴じ」のような技術が生まれていくようになれば。